さつきくんからもらった犬の絵を家のいちばんよい場所に貼ったよ〜 見ながら 楽の前日にいちど自分にはなにもないというところまで空っぽのバラバラになった バストリオのクリエイションのなかで今までになく素直な自分で色々感じて触って話して信頼してたのしんでまったくあらたな感触を掴みながらめちゃくちゃ生きてる感じで過ごしていたような気がしてたけど本番はじまって、自分はやっぱりおなじ虚しさのなかにいて、というかそのようにしか舞台に立ったり生きることができず、そう簡単なことではなかった、わたしにはみんなに話したい真実も伝えたい熱もなく、そもそもたいせつにしたい自分も世界も何ももたない(もたないようにしてる、もてないから演劇をやってた)そこにあることの眩しさや熱のなかに自分は消えてってとおくからただ眺めて昔はそれを目指してたんだけど 水性の外で長らく立ってるあいだ思い出したのは風葬の話で、風に吹きさらされるがまま腐敗していく自分の肉体や洗われる骨のこと、今野さんがむこう投げる土に叩かれるように現実にもどった あまりに美しい瞬間がなんどもあり、それは生きてる瞬間だったのでわたしは打ちのめされ、空っぽのバラバラのまま最後やった すごくよいことだった気がします せめてもとめちゃくちゃ走ってみたが全然足りなくて簡単ではなかったことがうれしい、みんながみんな誠実で眩しかった、わたしはこれから どう実現していくかはわかりませんが多分いつか振り切る日がくるしこないまま揺れそのままがわたしになってもいい よっぽど生きていたくないんだなということとよっぽど生きたいんだなということに同時に気がついてそれがすべてだった とにかくあの頃の自分が予感めいてえらんだ演劇という奇妙な行いをつかってどんどん遠回りしながら獲得していきたい、いけそうだということをしれた 小学校低学年の頃のまっさらなからだに戻ったよう、これから模索することもできるし何も考えず跳ねることもできる すご〜 素直に人を羨んで普通に悔しくもなったしよろこびに思わず人前で泣いたりして(それこそ小学生ぶり?)超高速回転の数日間でした、鮮明なことのすべてが一気に押し寄せた 愛情のひとだと言ってもらいありがたかった このようなものをもってみたいと実はずっと願ってた、15年間ずっと、きれいでうれしくてこわくてかなしくて震える
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